2024年7月退職、FIRE民への仲間入り予定のゆんのブログです。

資産形成やFIRE後の生活、人生を充実させるための方法について発信していきます。

一つひとつの作業をいつくしみ味わいながら生きる|リバタリアン的スローライフ

スローライフと言うとリタイア後に仕事や人間関係のしがらみから離れて地方でのんびりと悠々自適な生活をするイメージを持っていませんか?


実はスローライフと言うのはのんびりと悠々自適な生活を楽しむというライフスタイルの事を指すわけではありません。


スローライフと言うのは人生を豊かに楽しむために生活の中の一つひとつの作業を大切に味わいながら生活するという姿勢を指しています。


この記事では私が大切にしたいと考え、日々心掛けているている生き方について説明したいと思います。


あくまで私の考え方を説明するのであってスローライフを提唱する団体などが定める定義や推奨する生き方とは異なる部分がある可能性がある点、ご了承ください。

時間は人生そのもの

ミヒャエル・エンデの言うように時間は人生そのものです。時間を節約しようとすると人生自体が細っていきます。


そして節約した時間はどこへやら。早く仕事を終わらせたはずが、余った時間は手元にはなぜか残っていません。


私は会社で自動化や業務効率改善の仕事をしています。エンドの考え方に共感してからはプライベートな時間は一つ一つの作業自体を楽しむように心がけています。


時間を無駄遣いしたいとは思いませんが、ブログを書く、本を読む、動画を見るといった作業をじっくりと楽しみながらいつくしみながらやりたいと思っています。


と言いつつも、いつの間にか「早く書こう」、「早く読もう」、「倍速で見よう」などと早く終わらせようとする癖が抜けていません。


敢えてわざと遅くやろうとする必要はありませんが、一つ一つの作業を大切に楽しむことを心がけていきたいと思います。


時間は節約しなくていい

時間は人生そのものです。だからその時間を大切にすることが大事です。


しかし私自身誤った方向に向いてしまいがちだと自認しています。


というのも「時間を大切にするために時間を節約しよう」と思ってしまう事です。仕事はスムーズに作業ができるように標準化してルーチン化すると素早く作業が完了できるようになります。


それを家事や育児、はたまた自分の趣味にまで適用しようとしてしまいます。


「嫌なことは早く終わらせてさっさと自由な時間を手にしたい」と考えてしまいます。


そもそも嫌なことはやらない」とか「その作業自体を楽しむ」「という発想に意識的に切り替える必要があります。


スローライフはどちらかと言うと「その作業自体を楽しむ」という発想に近いと思います。


その作業自体を楽しむことができれば早く終わらせる必要は無いので時間を節約する必要はなくなります。これこそがスローライフの極意だと思います。


一方「そもそも嫌なことはやらない」というアプローチも重要だと思います。嫌々ながらやると心が荒んでくるからです。


人間関係のうまくいっていない職場で働くことなどは最たる例です。やりたくもない残業もしかりです。このような作業からは一刻も早く逃げましょう。


しかし家事、育児の中には「嫌でもやらないといけないこと」があると思います。それはなんとかその作業自体を楽しむ方向に持っていけないか検討します。


例えば私の場合はトイレ掃除は「いかにピカピカにできるか選手権」だと思ってやっています。


お金は節約ではなく使途を最適化する

お金も時間と同じで無理して節約しなくてよいものです。


なぜならば払いたくないものには払わない。そして払わなければならないもの、払いたいものに優先順位をつければよいからです。


自分が払いたいものは何でしょうか。それに優先順位をつければよいだけです。そして上から順に使っていけばよいだけです。


優先順位をつけずに何でもお金で賄おうとするからお金が足りなくなり、何かを我慢しなくてはならなくなってしまうのです。


自分にとって大切なモノやコトを決め、それに重点投資していく。そうすれば節約などしなくても満足度の高いお金の使い方ができます。


時間もお金も使い方のコツは同じで優先順位をつけることだと言えるでしょう。


狭いルールの檻に無理して自分を閉じ込めない

ロッキー山脈のような場所で手を広げて自由を謳歌する女性のイメージ
社会と言う壁が見えないほど広い檻に入っていれば十分

会社や組織に所属していればルールに従って動くのは当然のことです。社会を構成する一員なのですからルールを守って善良に生きていく義務があります。


しかし、会社勤めをしていると会社のルール、特に部署や特定の上司の狭いルールの中でしか動けないことがあります。


社会のルールの中に会社のルールがある。この辺りまではいいのですが、部署のルールや特定の上司のルールとなるとまるですぐそこに壁のあるとても狭い檻に閉じ込められているようになります。


その部署で社会的動物として生きていくにはそのルールに従わなければなりません。自分の肌に合っていればよいのですが、そうでなければルールからはみ出た本来の自分の部分は折りたたんでルールと言う檻のなかに収まらなければなりません。


社畜と言う言葉がありますが檻の中に収めるという意味ではまさにぴったりの言葉です。


あまりに狭いルールの檻の中に自分を納めようとすると自分らしさを失ってしまうほど自分を小さく折りたたまなければいけなくなります。それほど窮屈な思いをする時間はもったいなくありませんか?


それならその職場や人間関係から逃げ出すことを考えたほうたほうが良いと思います。


私の場合は広めの檻の中に入っていた比較的自由な会社員(社畜)で満足した会社員生活を送っていました。


しかし、転勤でとても狭いルールの檻の中に閉じ込められてしまいました。少し歩くだけで檻にぶつかり、体が傷だらけになってしまいました。


そして退社してFIREすることに決めました。自分の入る檻は自分で決める。少なくとも今の狭い檻の中から出ようと決めたのです。


将来的に会社や組織に所属することがあっても檻が狭ければすぐに逃げ出せるようにスキルを身に付けていこうと気持ちを新たにしたと言い換えてもいいかもしれません。

私にとってのFIREは自分が自分らしさを失わずに生きることができる広い檻を見つけるための決意、自分の人生を自分の手元に引き寄せるための手段であって、決して悠々自適な生活を夢見るというような出発点ではなかったのです。


何かをしている作業自体を楽しむ

「時間は節約しなくていい」の項目で触れましたが、今その作業をやっていること自体を楽しめばよいです。


今、私はブログを書いています。この作業自体を楽しんでいます。SEOとか閲覧数とか収益化とかそういう事を気にすると途端に作業感が出てきてしまいます。そしてつまらなくなっていき、作業できなくなってしまいます。


物事には向き不向きがありますが、楽しんでやれるかどうかと言うのが一つの指標になると思います。


「下手の横好き」という言葉がありますが、好きだったらどんどんうまくなるし、逆にうまくできるから好きという事もあると思います。


「下手の横好き」は実際にはうまくできる人が謙遜して言う言葉なのであって本当にずっと下手なままなのに好きというのはあまりないのではないかなと思います。

人生を味わう

作業そのものを楽しむという話をしましたが、これを連綿と続けていくことです。


将来を見据えて動くとかそういう事も大切だとは思います。しかし一番大切なのは目の前にあること、この瞬間にやっている作業を全力で楽しむことだと思います。


そのことが一番人生を味わうことにつながります。せっかくやるのに他の事が気になっていたり、早く終わらせようとするなら、それこそそれをやっている時間がもったいないです。


早く終わらせたい事になんか時間を使うな、という事ですね。


だから動画を2倍速で見るくらいならそんな動画を見るのはやめて、本来の速度で見たい動画だけ見ればいいという事です。


価値観を押し付けたくはない

こうでなければダメと言う考え方はしたくないです。リバタリアンと言う言葉があります。それは人それぞれ自由な思想をもって自己責任でやったらいいよね、と言う考え方の人の事です。


基本的にはリバタリアンでありたいと思っています。だからブログで私の考え方を説明したり役立つことを発信したりはしたいのでしますが、別に人に押し付けたいとはこれっぽっちも思っていません。


でもなぜか、スローライフはこうあるべき、みたいな考え方、風潮、雰囲気があると思います。


子どもの弁当は手作りじゃないといけないとか、カップラーメンはダメだとか、野菜は無農薬にするべきだとか・・・・


一つ一つの作業を大切にするというスローライフの考え方自体は大賛成なのですが、それが行き過ぎてなんでも手作りでないといけないとか言い出すと、またルールという狭い檻の中に入っていってしまうんですよね。


手作りがいいなら手作りしたらいいです。でも手作りでないとダメは言い過ぎ。手作りできる時はするけど、疲れてたり時間がない時はコンビニでいいよね、でいいじゃないですか。


ルールと言う檻を外していきつつ、一つひとつの作業を大切にしつつ、手軽さや便利さも享受する。リバタリアンになる。


これでいいのではないかと思います。